信屋商店 店主の見て歩き記

Web Name: 信屋商店 店主の見て歩き記

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何年かぶりに町内の三九郎の行事に参加した。数日前に役員総出で高さ6メートルと4メートルの三九郎を二基立てた。昨年暮れに広津の竹林から軽トラ2台分譲っていただいた青竹と刈り集めた枯れススキを使って、町内の棟梁の指示のもと半日掛りで立派なものが出来た。今朝は子供たちが町内を回り、正月の松飾りや達磨を集めた。子供たちが思い思いに飾り付けをして、午前11時にいよいよ点火。火は一気に燃え上がった。パチパチと竹が弾ける音がして迫力満点。しばしみんなで燃え盛る二基の三九郎を見守った。燃え落ちた後のおきに子供たちはそれぞれ持ち寄った細い竹の先に餅を吊るして焼いた。昔から三九郎の焼き崩れたあとの火で焼いた餅を食べるとその年を健康で過ごせると言われてきた。一年の無病息災がこめられている。 思い立って、新潟県糸魚川市にあるヒスイ峡へ出かけてみた。大町市から白馬村、小谷村を経て糸魚川市へとぬける国道148号線を走り、新潟県内に入ってから小滝川の上流に向かって進んだ。山道をしばらく行くと木々の間から霧のかかった威容な岩盤が目の前に迫ってきた。霊気を漂わせたその迫力にたじろぐ。この山は明星山(みょうじょうさん)といい、この岩盤直下付近から上流の土倉沢との合流地点にわたってヒスイの岩塊が散在していることを後で知った。 ヒスイは約7000年を遡る縄文時代から人間との深い関わりがあり、古来より不老長寿など霊力、生命の象徴として珍重され、勾玉(まがたま)や大珠(たいしゅ)などに加工されたものが全国の遺跡から出土していると言う。ここ糸魚川地方は、日本随一のヒスイ産地として、長者ヶ原遺跡をはじめ縄文時代にヒスイの玉や蛇紋岩の石斧を大量に生産して日本列島各地に供給した集落跡が数多く存在していると言うことだ。『古事記』には、この糸魚川市付近を治めていた豪族の娘、奴奈川姫(ぬなかわひめ)に大国主命が出雲の国から求婚に来たという神話が記されており、ヒスイを生産したこの地方が注目されていたことを示している。北安曇郡白馬村から糸魚川市をぬけ、日本海に注ぐ姫川の名称はこの奴奈川姫に由来するそうだ。ところで安曇野を拓いたといわれる安曇族は6世紀ころ日本海から糸魚川を経て、姫川沿いに南下し、有明山の麓に辿り着いたと言われる。この安曇族たちがヒスイを求めてこの地方にやって来たという説もあるようだ。 明星山から高浪の池に廻ってみた。4mはあろうという巨大魚が生息するという神秘の池の前は美しい芝生となっていて、何組かのグループがバーベキューを楽しんでいた。つい先ほど真近で私を畏れさせた、その池から望めるはずの明星山はすっかり霧の中に隠れてしまっていた。 久しぶりに登波離橋に立ち寄った。新緑が目に心地いい。ここからしばらく東南に進むと陸郷「桜仙峡(おうせんきょう)」がある。そのロマンティックな名称に誘われて4月下旬に訪れた時には山桜が満開で見事だった。 2ヶ月後、そこまで足を延ばすと深い緑の先に北アルプスが遠望できた。目の前の中山山地(東山)に所々見られる緑の切れ目からあらわになった峻嶺な岩肌は、古の荒々しい地殻の変動を覗わせる。『池田町誌 自然編』によれば、約2600万年前フォッサマグナの活動によって、ほぼ現在の大町市、池田町、松本市、諏訪市を貫通している糸魚川・静岡構造線が西側の断層となって日本列島の中央部分が大きく陥没し、そこに日本海と太平洋から海水が浸水し「フォッサマグナの海」が出現した。約200万年前ころまでに、その海が陸地からの土砂の流入や海底火山の活動による隆起によって陸地となったという。それは、ちょうど今の大峰高原の標高くらいの平原で西は飛騨山脈(北アルプス)の山麓まで連なっていた。その平原に北アルプスを源とする河川が西から東へと自由に蛇行しながら流れていたと想像されている。したがって大峰や池田町南部の大穴山の山頂は川原だったことになる。その証拠とされるのが大峰と同じ標高面の各所に残された飛騨山地を故郷とする花崗岩の巨礫である。約100万年前(更新世中期)頃、現在の松本盆地が陥没し、平坦地が形成されたと考えられている。ようやく私たちが住む安曇野が誕生したのだ。まだ、陥没していなかった安曇平を北アルプスから大峰まで転がった花崗岩の巨礫は、安曇野の誕生後山頂となった大峰に置き去りにされた。気の遠くなる話ではあるが、そんな複雑な地殻変動の結果が、この起伏の多い美しい景観を造り出していると思うと感慨深い。と同時に地球の巨大なエネルギーを見せつけ、人間に警告を発しているのかも知れない。 安曇野の最北端に仁科三湖がある。南から木崎湖、中綱湖、青木湖の三つの湖である。安曇野のゆったりした田園風景も大町市の北、木崎湖までで、此処から北は、狭隘な山道が日本海まで続く。日本列島の形成過程の謎を秘めたフォッサマグナ(糸魚川静岡構造線)の地溝上に出来た三つの湖は、最も水深の深いところで、青木湖の58mもある。流入河川が無いにもかかわらす豊かな水量を保ち続ける青木湖は、湖底に多量の湧水があるのだそうだ。青木湖から流れ出る農具川は、南の中綱湖、木崎湖へと繋がっている。 毎年、この紅葉の時期に中綱湖の畔、簗場(やなば)の民宿に醤油を届けている。スキー客を迎える冬場を前に、民宿ではこの時期、野沢菜の醤油漬けを仕込むのである。毎年お世話になっている民宿のおかみさんに案内していただきながら、一軒、一軒に当店の醤油をお届けした。配達が終わって、おかみさん宅でお茶をごちそうになりながら、いろいろお話を伺った。暖冬続きとスキー人口の減少で、随分お客さんは減っている。暖房用の燃料の高騰も痛手だ。今年の夏の異常な暑さも話題にのぼった。「地球がどうかなっちゃうんじゃないの?」 ここでも地球温暖化の心配が出る。 帰り道、青木湖まで足を延ばした。 久しぶりに見た青木湖に新たな感銘を受けた。大町市観光協会は、仁科三湖を、レジャーが盛んな木崎湖を「遊びの木崎湖」、こじんまりした中綱湖を「憩いの中綱湖」、神秘な雰囲気を持つ青木湖を「思索の青木湖」と紹介している。なかなかぴったりな表現だと思う。青木湖の深い湖底から湧き出る清水は、湖水中央の色をシアン色とでも言いたくなる鮮やかな水色に変えている。そして紅葉の先に眺望できる雪を頂いた白馬三山。この絶妙な自然の風景を背景にして、醤油屋のおやじもしばし哲学的な雰囲気に浸ってみた。 このところ急に寒くなった。きのう朝、何気なく西山を見ると、うっすらと白くなっているではないか。いよいよ冬が近づいて来る。 異様に暑い夏が続き、残暑もいつまでも厳しかった折、いつもながらの季節の巡りになにかしらホットした気持ちである。配達方々、池田町の名勝「登波離橋」に立ち寄ってみた。紅葉はまだまだこれからという感じだったが、遠くに見える北アルプスの白い山並みはやはり美しい。地球温暖化の危機はますます深刻さが叫ばれているが、この美しい信州の自然にもその影響はひたひたと忍び寄ってきているのだろうか? 願わくば、古くより飛騨の山々と呼ばれ親しまれてきた雄大な北アルプスの雪化粧は、いつまでも残ってほしい。 私は縁あって、18歳の時から約10年間を北九州市と福岡市で過ごした。30歳を目前にして、それまでの仕事を辞し、ふるさと信州へ帰ることを決めた。そんな準備を進めていたある日、ある人が私を訪ねてくださった。「信州の安曇野出身の人がこちらで働いていると聞いて、そのふるさとに帰るというんであなたに会いに来たんだ。安曇野といえば、ここ志賀島にいた安曇族が移り住んだところだからね。」とおっしゃった。志賀島といえば、私の職場があった博多港の目と鼻の先にある。学生時代の友人と連れ立って海水浴に出かけたり、職場の仲間で連絡船に乗ってサザエの壷焼きを食べに行ったり、と楽しい思い出があった。仕事の帰りに志賀島の方面に沈む夕日が美しく、いつまでも見惚れていたこともあった。私は、それまで安曇族のことなど全く知らなかった。親からも地元の学校でも聞いたことがなかった。もっとも、もともとぼんやりしていた私が聞き逃していたのかもしれない。ふるさとに帰った私は、家業を共に始めたばかりの父の死に直面して、目の前の仕事に追われるばかりで、安曇族のことも頭の片隅に押しやられほとんど忘れかけた。 そんな中でも、ふっと安曇族のことが蘇るのは、毎年9月に行われる八幡神社の祭典の時だ。本祭りでは、8台の舞台が町内を引廻される。翌日は、町の上、下で2台の舟が曳かれる。この舞台や舟に乗れることが子どもの頃の楽しい思い出だった。しかし、この山間部であるこの地で何故お祭りに「舟」が曳かれるのだろう? 隣の穂高神社には有名なお舟祭りがあり、その影響だろうか? その穂高神社には安曇族が関係しているらしい・・・。 私はそれ以上詮索することもなかった。安曇族に興味を持ち出したのは、偶然手にした亀山勝著『安曇族』(郁朋社)を読んでからだ。本書によれば、古代日本において海洋民族である安曇族は、漁撈を生業とするばかりでなく、高度な航海術を持って、もともと深い繋がりがある中国本土や朝鮮半島との交易にも携わり、日本各地にもその足跡を残している。日本の弥生文化の基となる水田稲作の技術は、中国大陸から伝えられたとされるが、その農業技術の伝播にも安曇族の貢献があるというのだ。安曇族が活動の拠点とした志賀島は、中国の後漢の光武帝から賜ったとされる金印が発見された場所として有名である。その金印には、「漢委奴國王(かんのわ〔倭〕のなの国王)」と刻まれている。中国の歴史書『後漢書』や『魏史』の倭人伝によればこの志賀島周辺の北九州には、弥生時代に栄えた奴国があったとされている。『池田町史 歴史編Ⅰ(原始~近世)』には、「ここ(志賀島)で発祥した安曇氏は奴国(なのくに)を建て、全国各地にその海運力を利用して広がり、安曇氏に関連する郡・郷などの地名や神社などを残している。」との記述があり興味深い。 田植えの終わった安曇野も、ここのところ天候不順だ。真夏のように暑かった日には、配達先の森の中のお客様宅で、確かに蝉の声を聞いた。そうかと思えば、今日は日が沈むとまだまだ肌寒さを感じる。ところで、我が家の玄関先にある「西洋しゃくなげ」の花が5年の月日を経て、見事な花を付けた。私はその存在すらも忘れていたが、女房が世話を怠らなかった。白いおおつぶな花弁に黄色の模様が鮮やかだ。うーん、5年か、私も5年後に見事開花するような、何かをじっと内燃し続けたいものである。 安曇野の田圃は、連休で一気に田植えが進んだ。水面に映える北アルプスが美しい。今は心なし頼りなく見える細い早苗もやがて緑のカーペットのように成長して、安曇野の風景を一変させる。「母の日」に続いて、池田町在住の画家川崎満孝さんに「父の日」のための素晴らしい絵を描いていただいた。「雪の蓮華岳と春の花」である。北の安曇野に住む私たちにとって最も親しみを感じる山の一つだ。均整のとれた姿でどっしりと構えているところは、まさに「オヤジさん」の風格だろうか。 (信屋商店では、「母の日」に続いて、「父の日」のメッセージ・カードを作成。この「雪の蓮華岳と春の花」のカードにメッセージを添えて、お父さんに夏に嬉しい日本酒の生酒のプレゼントはいかがですか? どうぞ、ご活用ください。) 池田町立美術館、創造館を擁するクラフトパークは、広大な敷地をゆったりと散策でき、北アルプスの眺望も抜群である。そのクラフトパークの一角に「きけわだつみのこえ 上原良司の碑」が建立されている。建立の趣意として、次の通り記されている。「今から60余年前の第二次世界大戦において 多数の国民が戦争に駆り出され 祖国・故郷・家族のためと信じつつ 自由で平和な時代の到来を願いながら戦い 無言で逝った その多くの戦没者の思いを代弁したとも言うべき 突撃前夜に上原良司が書き残した『所感』の一節をここに刻み そのメッセージを次世代に伝えるべく 生誕地・池田町にこの碑を建立する 平成十八年九月二十七日 生誕地・池田町に上原良司の碑をつくる会建立」上原良司氏は、1922(大正11)年9月27日池田町大字中鵜鵜山で生まれている。その後、穂高町有明にて家族と過ごし、慶応義塾大学在学中に、学徒出陣。1944(昭和19)年9月、特別操縦見習士官となり、翌年5月、特攻隊員として出撃。沖縄沖のアメリカ艦船に突撃し戦死を遂げた。その出撃の前夜、その「所感」は書かれた。碑に刻まれた抜粋には、次のように記されている。「自由の勝利は 明白な事だと思ひます 明日は自由主義者が一人この世から去っていきます唯願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を国民の方々にお願ひするのみです」この言葉の意味をもっと知ろうと、上原良司著 中島博昭編 『ああ 祖国よ 恋人よ』(信濃毎日新聞社)を読んだ。この「所感」にこめられた上原氏の深い思想、軍国主義、全体主義に決して屈服しなかった自由主義思想の重みを学んで、言い知れぬ感動を覚えた。戦後を生きている私たちは、上原氏の問いかけを果たしてしっかりと受け止めているのだろうか? 60年目を迎えた「憲法記念日」の今日、平和の意味をしっかりと考えたいものである。 二月には異常に暖かだった安曇野ではあるが、3月、4月と寒の戻りでずいぶん驚かされた。それでも桜の花は平地では咲きそろい、春は確実にやってきた。そんな安曇野の春を描いた素晴らしい絵を紹介したい。池田町在住の画家川崎満孝さんの描いた「アルプスとチューリップ」である。川崎さんは埼玉県の出身。日本各地を旅しながら絵を描き続け、さらにヨーロッパやインドでの旅の体験から独自の画風を切り拓いておられる。繊細な色彩とユニークな構図には思わず引き込まれてしまう。現在、長野県北安曇郡池田町広津に在住。(信屋商店では、川崎さんの了解を得て、この「アルプスとチューリップ」のカードを作成。「母の日」プレゼントのメッセージに添えられるように用意いたしました。どうぞ、ご活用ください。)

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