A VIEW FROM PARIS パリから観る --- Le savoir, cest le salut ---

Web Name: A VIEW FROM PARIS パリから観る --- Le savoir, cest le salut ---

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4年ほど前、以下の場所にこのサイトを複製する計画を立てました。しかし、忙しさもあり、暫くして挫折しました。今年3月のこと。長い間放置されていた計画を思い出し見直したところ、丁度7年前の同じ時期の記事で中断されていることを発見。7年という間隔を保ちながら歩み直すのも面白いのではないかという考えが浮かびました。5月には単純な複製ではなく、7年前と交流する形で、時に現在からのコメントなどを加えながら進みたいと思い、以下のサイトで実行していました。記憶の補強と当時は気付かなかったことの発見などを期待してのことでした。A View from Paris パリから観る (Blogger - Dynamic Views 版)その後、新しいサイトだけではなく、この場にも現在からの観察を加えることで賦活できるのではないかと考えるようになりました。例えば、以下のようにです。生きるために生きるのか、死ぬために生きるのか (2008年7月31日)これらの試みを通して、新たな理解に至ることを願っています。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。 これからの行く先について考えていた。新しい場所を作るのは負担が大きい。そこで浮かんできたのが、これまで仕事のことを中心に時折メモしてきた場所である。そこは図書室を兼ね、sec (dry) に書くようにしていたところであり、書き込むだけの、わたしにとっては死んだようなところだった。今は、その場に移って書き始めるのが一番しっくりくるように感じている。この機会にそこを蘇生するのも悪くないだろう。書き進むうちにその性格が表れてくるものと思われる。ただ、面白いものになりそうな予感は全くない。 「パリの断章 -- Mémentos à Paris」 それから拙いフランス語でのメモも続けていきたいと考えている。誤りの指摘やサジェスチョンなどをいただければ幸いです。 UNE VIE PHILOSOPHIQUE À PARIS 前回書いたフランス語の中に入る方向で進んでいる。スタンダールがこんなところに絡んでくるとは予想だにできなかった。その過程で見えてきたことは、こちらの現実に向き合う姿勢が明らかになり、今の専門に集中しようとする気持ちが強くなったことだろう。これまでにはなかった心境である。その結果、この場に書き続けることに違和感を感じるようになっている。この機会に新たな心の枠組みで、新たな場所に身を移して書いてみたいと思うようになってきた。ブログは日本にいる時の2年に比べ、こちらではその倍に当たる4年も続けてきたことになる。その意味でも丁度良い時期かもしれない。振り返ってみると、フランス語を始めたのもブログを始めたのも花粉症の頃。そしてこちらに来て花粉症の症状が出た今年、新たな方向が浮かび上がってきた。やはり花粉症は鬼門のようだ。 これからについてはもう少し考えてみたいと思っています。 これまで訪問していただいた皆様に感謝いたします。 長い間、ありがとうございました。 Hope Japan. Soirée pour le Japon (au Théâtre des Champs-Elysées)次第に日本語を離れ、フランス語の世界に入りつつある。その状態に入ると、こちらの現実世界に心と体が一体になり入っている、あるいは入って行こうとしているのを感じる。逆にそこから見ると、これまでの状態が頭の中に日本語の世界を維持しながら、体を隠して観察者に徹していたようでもある。今感じているのは、6-7年前のブログを始める前の動的生活に戻ろうとしているのではないか、ということだ。もう少し観察してみたい。 日本流に言えば、明日から新学期、新年度が始まる。そのためではないだろうが、ある心境の変化が見られる。それはひと月ほど前から始めた仏語ブログが少し関係しているようだ。これから先どうなるのかわからないが、ひとまずの区切りとしてフランス語の世界はあと2年ほどになった。その間にできるだけその中に入ってはどうか、これまでいつも逃げていたその世界にどっぷりと浸かってみてはどうかという声が聞こえる。アメリカにいた当時は日本語はどこかに追いやり、体ごとその中に入っていた。そのくらい徹底してフランス語をやってみてはどうか。もうそういう時は巡ってこないのだから。そんな思いの声かもしれない。フランス語の世界に入ると、日本語による想像(妄想)の羽ばたきが少なくなるように感じることは以前に触れた。その傾向が益々強くなるだろう。新たな迸りは減るかもしれない。ただ、それはよいことかもしれない。これまでの4年ほどの間、ここに綴ってきたものをまだ読み直す時間がなかったからだ。今の生活は全体として瞑想的なものだが、このことについて絞って見ると、これまでの精神のアクティブな状態から静的な状態に入り、活動の跡を味わい直す瞑想の機会が訪れることになる。その伝でいくと、上のフランス語に関しては、これまでの逃避状態から動的生活に入ると言えないこともない。日本語とフランス語がそれぞれ瞑想生活と動的生活を入れ替えるという面白い時がやってきたということか。いずれにせよ、この場にも手書きのメモを読み直す時に感じる驚きが隠れていそうな気がしている。自らの探索の旅に出るような気分である。 以前に触れたことのあるアンリ・アトランさんの2時間になろうかというセミナーをビデオで見る。アンリ・アトラン著 「試験管の中の哲学」 で神話を考える (2011-01-13)午後に出掛ける時、先週推薦された本が届いていた。そのままカフェに入り、著者の方向性を眺める。予想通り興味深く、示唆に富む内容になっている。これから少しずつその考えを噛み砕いていきたい。 今日はゆっくりと過ごす。何をするでもなかったが、仏版ブログなどに手を加える。 UNE VIE PHILOSOPHIQUE À PARIS ブログに記事を書かなくなると、そのサイトのことは意識から消え去る。そこがどのような状況にあったのか、何を書いていたのかさえ忘れてしまう。仏語ブログも長い間遠い存在になっていた。しかし、2月終わりにひょんな切っ掛けから再び書いてみたい気分が襲った。それ以来まだ1ヵ月だが、毎日続いていることに驚いている。おそらく、無理をしないことを心掛けているからだろう。書き続けていると、そこにある人格が浮かび上がってくるように感じるから不思議だ。それは日本語の世界とは明らかに違う。日本語の記事を書き換える時でもその違いを感じる。英語も混じるようになった仏版ブログがこれからどのように変容していくのか。興味が湧いている。その行く末を長い目で見て行きたいものである。今しがた久しぶりの遠雷が聞こえた。始まった雨音を聞くため、ベランダに出る。草の匂い、土の匂いが6階まで上がってくる。 今日は午前中に用事を済ませ、午後からビブリオテークという代わり映えのしない一日。次に向けてどのようなやり方で進むのかについて、ぼんやりと思いを巡らす。網を海に投げ、それをゆっくりと引き上げるようなイメージになる。引き上げるまでには、まだ時間がかかりそうだ。その中に獲物はいるのかどうか、こればかりはいつものことでわからない。今日のところは鼻の詰まりもあるのか、今ひとつであった。 Voltaire (21 novembre 1694 - 30 mai 1778)そのことをはっきり意識したのは、もう15-6年前のテレビ討論だった。それは 「患者よ、がんと闘うな」 を出したばかりの近藤誠氏とどちらかのがん病院の臨床家との間で行われていた。終始落ち着いていた近藤氏に対し、外科か放射線科の先生は時に感情的になり反論していたが、まともな反論にはなっていなかった印象が残っている。なぜそうなるのかを考えてみると、一つのことに思い至った。それは近藤氏が自らの中から出た疑問をもとに実際の記録に当たり、それを自らの責任において判断したのに対し、臨床家の先生はその領域で是とされていることを如何にうまくやるのかにだけ注意が集中していたのではないか。さらに言うと、自らの属する社会(学会)の空気の中にいて、その中から発言していたからではないのか。この場合、無意識に行われているよりは意識的である可能性が高いと想像できる。一人で考えない場合には、同じ意見を共有する人がたくさんいるということで自らの責任についての意識が弱くなるか、全く失われてしまう。つまり、後者の場合には自らの行いを外から見るという視点が欠落していて、ここの定義で言えば考えていないのである。この臨床家だけではなく、専門化の著しい今日においてはほとんどの人が考えていないと言ってよいだろう。考えるためには 「そこ」 から出て、一人になければならないのである。そうしなければ、事の重大さを何も感じることができないだろう。自らが学ぶということもないだろう。このことを思い出したのは、今回の地震・津波・原発災害においても同じような対比が認められたからである。癌の根治治療を原発に置き換えれば、状況がよく見えてくる。原発の危険性を考え、訴え続けてきた人たちがいる。彼らの姿を見ていると、実に落ち着いている。自らの中から出た疑問をもとに調べ、自らの責任において判断した考えを語っているからだろう。原発を推進してきた人たちの話を見聞きするところまで行っていないが、文字で見る限り皆さんが学会や多数派の空間にいると感じており、その中に身を委ねているように見える。そのような状況では結論が先に来ていて、最悪の場合にはそれに合わせて論理を組み立てるという技術の問題にしかならない。一人になると迫ってくるであろう問題が自らの中に反射しないだろう。したがって、その問をどう解決しようとしたのかという思索の跡が見えてこない。考えていないのである。これから今回の災害の検証が行われるだろうが、その時にこのような精神運動が伴わなければわれわれは何も学ぶことなく、また同じことを繰り返すだろう。これは 「専門性と責任の関連を考える」 (2010-05-16)で触れた問題とも繋がる。今の世界を取り巻く問題の根にこれがあるように見える。しばしば使われる思索の結果としての哲学ではなく、その過程を意味する哲学がこれから必須になる。それは個別の問題に入る前の態度をわれわれに教えてくれるからである。それなくして生き生きとした国の再生は難しいように思える。 Église St-Éphrem昨日の朝、ゆっくりと歩き回りながら会場の ENS に向かった。その途中、夕方からコンサートを開く鄙びた教会があることに気付いた。会が始まるとすっかり忘れていたが、帰りに再び思い出し聴いてみることにした。出し物がバッハの無伴奏チェロ組曲だったからかもしれない。Timothée Marcel, violoncellisteソリストはまだ若く、素直な性格が滲み出るような演奏。ひんやりした教会内に流れるバッハはいろいろな想いを呼び起してくれた。また、身を清めてくれるようでもあった。アンコールは第1番のプレリュード。実り多い一日を終えるに相応しい時間になった。 今日は朝から1日がかりのシンポジウムを聞くため ENS へ向かう。久しぶりの建物はなぜか懐かしい感情を呼び起こす飾り付けがされていた。この界隈はマスターの時によく歩いていたところなので親しみがある。マスターを終えてからもうマスターの時間と同じ2年が流れているが、心理的にはすぐ横にある感じがする。しかし、当時の緊張感を再現するのは難しくなっている。実に不思議な時間感覚だ。今日の目的はこの方のお話を聞くことと、お話をすることであった。Pr. Carl Craver (Washington Univ.)実は、昨年10月、ピッツバーグ大学のケン・シャフナーさんのセミナーの後にわたしの疑問をぶつけたところ、すぐにアメリカの数ヶ所からメールが届いたが、クレイヴァーさんはその中のお一人になる。それから3月にこちらに来るので話をしましょうというメールをいただいていたので、それが実現したことになる。これは私の印象だが、アメリカの哲学でよく見られるスタイルとして、科学の具体的なデータの中にどんどん入って行き、そこで行われていることを哲学的テーマに沿って分析するというものがある。しかし、今日のクレイヴァーさんのお話はこれまで言われていた理解し予言するためのモデル作成からさらに一歩進めたところに行っており、驚いた。科学に寄り添い過ぎではないかという印象を持ったので率直に話してみた。すると、このような考え方はアメリカでもまだ珍しいとの返事が返ってきた。ユニークな方向性なのかもしれない。上から下りてくるメタフィジックはお好みではないようで、データから入る下から上に向けての解析が大切だと考えている。科学の現場と乖離した哲学は意味がないと考えているようでもある。今日のお話はこれまで話していない内容とのことで、これだけでも顔を出して正解だった。しかもいくつかの貴重なお話を伺うことができた。例えば、わたしの哲学全般についての問題意識を話すと、そういう人にはお勧めという一冊を紹介していただいた。また研究についても助言をいただき、充実した一日となった。これからはSkypeでやり取りしましょうとのことだったが、取敢えずメールでお願いしておいた。これまでにも感じているが、人と遭うということは実験をするのと同じようなところがあり、時に思わぬ化学反応を起こす。今日の実験結果はこれから確かめることになるだろう。 Mortensen & ses amis (Maison du Danemark)昨日の午後、会の前に時間があったのでシャンゼリゼ通りを散策する。厚手のコートでは汗がにじむ季節になってきた。しばらくすると上の景色が目に入った。そこはメゾン・デュ・デンマーク。お国の画家、リチャード・モーテンセンの作品が友人の作品とともに展示されていた。 Richard Mortensen (23 October 1910 - 6 January 1993)会場には豪快な笑い声とともに語り合っている係の中年のお二人だけ。デンマーク語がこれほどダイナミックになるとは知らなかった。この日も贅沢な貸し切り状態。sans flash であれば写真はOKとのことで、作品を収めてきた。以下、少しだけ振り返ってみたい。Mortensen, Coeur de taureau / Arles 3 (1957)Mortensen, Rue Notre Dame des Champs 1 (1958)Mortensen, Les délices ripolines (1950-51)Mortensen, Opus Rouen (1956)Mortensen, Sans titre - r27 (1960)案内によると、モーテンセンさんは1947年からパリと関係ができる。主体から完全に自由になり、視覚からのダイナミックな刺激から形が生れるままに任せた。最も厳密な幾何学的作品においても、その線には自由と寛容が認められる。彼の感受性により、作品に生の即興性を強烈に表現することに成功しているという。 今日は午前中に用事を済ました後、届いたばかりの本とともにカフェで時間を過ごす。もうひと月ほど前になるが、仕事の中で推論を続けていくと、ひとまずあるところに辿り着いた。その後調べているうちに、そのこととどこかで通じるような言葉を40年ほど前に残している人がいることがわかった。その意味するところを知りたくなり注文した本になる。早速読み始めたが、面白いだけではなく、求めているところまで近い印象がある。イントロにこんな言葉あった。「探検家は探検が終わるまで何を探しているのかわからない。...科学者や芸術家の場合も心の深いところが本人の課題に関係する経験や思索へと間違いなく導いている。その導きは、科学者が自らの目的を意識するずっと前から行われているようである。しかし、それがどのようにして起こるのかはわからない」M. Jacques Attali (né le 1er novembre 1943 à Alger)夕方、パリ商工会議所に向かう。ジャック・アタリさんを招いて日仏で今回の災害に遭われた方に向けての連帯を示す会である。お話の中には、わたしがこちらに来る時のキーワードになった "réfléchir"、 "réflexions" が頻繁に顔を出していた。この言葉を 「よく考える」、「熟考する」 と訳しただけではピンとこなかった。しかし、何かを検討し、深める際に、考えを自らのところに向かわせる運動が伴っていなければならないこと(言葉本来の意味の 「反射」 が必須になること)がわかった時、この言葉が身近になると同時に、その運動を意識的にしていなかったことに気付くことになった。アタリさんは冒頭に、それぞれが今回のことを充分に 「レフレシール」 しなければならないと語った。この大災害、悲劇の拡がりやその意味するところについて。会の性格もあるので、先ず経済的な要素について触れていた。日本は経済的に見て世界で重要な国であり、われわれの友人である。われわれのためにも日本の復興は大切である。さらに、エネルギーの今後、自然と人工との関係、技術とその利用などについて考えなければならない。アタリさんの核エネルギーに対するスタンスは、安全なものでこれからも使用を止めてはならないが、予防措置 (précaution) は厳格に採らなければならないというもの。彼の姿勢は核依存度の高いフランスという国の立場を反映するものなのだろう。日本の予防措置はどうだったのかという点はこれから検証の対象になるはずである。それからフランスのできることとして、日本における活動を活発化し、できるだけの援助をすること。そして、フランスの日本に対する感謝の気持ちをはっきりした形で示すこと。日本の伝統や日本的な感受性はわれわれ(世界)にとって大切なものである。パンセ(penser)、レフレシール(réfléchir)、イマジネ(imaginer)を通して導き出したものを基に語り、行動しなければならない、と結んでいた。(2011.1.10-11) ジャック・アタリさんによるジョルダーノ・ブルーノ (I)、(II)会場のわたしの前の席には、コンサートのためにパリを訪れている佐渡裕さんとステラ・マリスの吉野建さんが。挨拶に立った佐渡さんは、明日シャンゼリゼ劇場であるフランス国立管弦楽団の演奏会では、プログラムの前にバッハのアリアを演奏し、黙とうをする予定であること。ベルリン・フィル、ウイーン・フィルも日本に向けてメッセージを送るため、演奏会を開いてくれること。また、ケルンやデュッセルドルフでもチャリティ・コンサートがあり、今週の土曜にはデュッセルドルフでベートーベンを指揮することになっていることなどを紹介していた。世界中からのメッセージが日本に届くように舞台から頑張りたいと語った時は感極まった様子であった。 今日は朝から初めての会に顔を出す。今年2つ目の初めての会になる。科学史専攻のドクター4人が発表する予定。会場に行くが、閉まっている。暫くして主催者が現れた。4人の内2人が欠席という。2人だけの発表だったが、終わった時間はなぜか予定通り。お二人とも論文を読むスタイルで、濃い時間だった。主催者のお一人はガブリエル・ガシュランさん(Gabriel Gachelin)。パスツール研究所で研究をされ、筑波に5年滞在。その後も日本を訪問されているとのことで、親しみが湧く。ただし、そのフランス語は速く、陰影に富む。今デジュネを終えたところ。これからビブリオテークへ。 L'anticonformiste de Luc Ferry (né le 3 janvier 1951)今日はゆっくりと過ごす。先日の散策で見つけ、恐らくそのタイトルに惹かれて手に入れることになったリュック・フェリーの 「反画一主義者」 を読み始める。自伝的対談本で読みやすい。彼は2002年から2年間、国民教育相をやっているが、所謂インテリの家庭の出ではないので、いつも遠くへ来たという感覚を持っている。エリート校に進むようになり、そこで見られる盲従(servilité)によるテロリズム、画一主義(conformisme)による暴力の怖さを感じる。Mai 68 でも同様のことを彼は感じたようだ。精神の自由はどこにあるのか、と叫ぶ。孤独を癒すかのように向かったドイツで、他人と同じようにする必要など何もないことを感じる。それは丁度、デカルトが学校をやめ、偏見を捨て自分の頭で考えるため世界という本を読んだことに重なると考えている。そのドイツに向かったのは、大学の尊敬するドイツ人教授の言葉によるところだ大きかったという。その言葉とは、「フランスに留まってもここでは何もすることがありません。ドイツに行き、ドイツ語を学びなさい。哲学の何たるかはそこにあります」。ハイデルベルグ大学での学生生活は、比較にならないながら昔を思い出させるところもあり、興味深く読む。彼の野心はハイデッガー、フロイト、ヘーゲル、カント、ニーチェの全作品を読むという壮大なもの。21―23歳までの2年間は充実したものだった様子が伝わってくる。 その社会では、自らの内から出たものに従って動き出す精神がない。そういう語りが聞かれない。すべてが自己抑制的なのだ。ネガティブ・フィードバックとしてしか働かない。内を見ないでいつも周りを見ているから抑制的にしか動かないのだ。精神が生きていない、死んでいる。精神の生きていないところで、肉体が生きることはできるだろうか。そういう精神の集まった社会は、どんよりとした空気に満ちているだろう。晴れ晴れとした人、溌剌とした人を見つけることもできない。そこで生まれ、死んでいく人は結局のところ生きてはいないのだ。そのことに気付かずに死んで行く。そのことに気付くとはどういうことか。それは、今ここにある生を徹底的に覗き込み、そのすべてに触れ、すべてを躍らせること。生きてから死にたいものだ。ところで、先日も触れたが、こちらから見ていると世界に浮いている日本がよく見える。世界の人も日本をよく見ている。この間、日本とともにあったのではないだろうか。外に出て4年、そのことが自然にわかるようになった。詳しく見ているわけではないが、日本を代表する人から世界の人に向けて何らかの語りかけがこれまであっただろうか。あれからもう1週間が経つ。そろそろ世界に向けてメッセージを発する時ではないだろうか。そういう小さな積み重ねが世界における日本の存在感を高めていくような気がしている。 昨年その様子を見ているのでどうしてもという気分ではなかったが、午後からサロン・デュ・リーヴル2011 に向かう。ところがメトロが非常に混んでいる。少し待ってやっと乗ることができた。会場に向かうと予想通り混雑しているので、あっさり止めにしてあたりを散策することにした。いつものように適当なところで休み、暫く読み、また歩くという繰り返し。途中に入ったプレスで雑誌を見ると、いずれも日本の風景が表紙に来ている。今日は Le Nouvel Observateur (ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール)に手が伸びた。今回の出来事から何を学ぶべきか、という考察がいくつかあった。一人はジャン・クロード・ギユボーさん(Jean-Claude Guillebaud, né à Alger en 1944)。まず、あれだけの未曾有の災害にもかかわらず人々が落ち着いていることに驚き、その理由を推測している。その結果、社会を構成するメンバー間の結びつきの強さ(cohésion sociale)がそこにあるのではないかと見ている。この社会の結び付きこそ国のダイナミズムを保証するものだと彼は考えている。翻ってフランスの社会について見直してみると、ある限定された条件の下でしか国のモラルが存在しないと見ている。その理由として、社会の正義が最小限しか認められないこと、それから大衆を蔑視し、その資格に値しないエリートの存在を挙げ、これらが市民意識(civisme)を腐食していると考えている。もう一人は、科学と進歩の信奉者であったローラン・ジョフランさん(Laurent Joffrin, né le 30 juin 1952 à Vincennes)。今回のカタストロフでわれわれのすべての確信がぐらついている。日本も原子力は安全だとしてこれまで通してきたが、すべての公式発表に疑義が出ている。権力側は科学と理性の言葉をこれからも使ってくるだろう。しかし、それがうまくいかなかった時、代償を払うのは集団のメンバーである。今や解決法は一つしかない。それは、まず国民を巻き込んだ大論争を始め、その上で国民投票を行うことである、と結んでいる。 Paul Verlaine, Clair de lune (le premier poème de Fêtes galantes)今日は午後からのセミナーを止めにしてゆっくりする。こういう日がどうしても必要になるようだ。張り詰めた糸を緩めるような感じだろうか。今週見始めたCNNやBBCを今日も少しだけ見る。これまで無意識の内に英語の世界をブロックしていたようだ。そこには勢いと緊張感に溢れる世界が広がっている。現在との格闘がある。今日は日本よりはリビアが先に来ていた。午後遅く、近くのカフェへ。著者からいただいた科学の歴史に関するレビューを読む。人によってこうも切り口が変わってくるのか。見えてくる世界が違い、評価も変わってくる。面白い。まさに歴史の醍醐味はそこにあるのか。自分がそこに加わるとすればどう見るのだろうか。そんな想いをゆっくり巡らせながら著者とともに暫しの時を過ごす。帰りは気持ちのよい雨に降られた。 今日は曇天、冷たい風が吹いていた。午後からビブリオテークへ。昨日よく歩き回ったせいか、少々疲れが見える。夕方には引き上げる。« Rester assis, c’est là précisément le péché contre le Saint-Esprit. Seules les pensées qui vous viennent en marchant ont de la valeur. » Friedrich Nietzsche, Le Crépuscule des idoles 「座ったままでいるのは、まさに聖霊に対する罪である。 散策中に浮かんでくる考えだけが価値を持つのだ」 フリードリヒ・ニーチェ 「偶像の黄昏」 朝からビブリオテークへ。これからの計画を練る。どうもこの過程がお好みのようで、さっぱり前に進まない。午後は二つのセミナーに参加し、夜は再びビブリオテークへ。最初のセミナーでは、イタリアからの招聘教授がアメリカ人の論文を紹介していた。その論文の著者は、科学が出す知が真理である程度は高いと見ていないが、科学の社会学者が言うように、科学知のすべてが社会的、政治的など科学以外の要因で決まっているとは考えていない。また、ある限定された時代の限定された現象に焦点を当てる手法が流行るとそれ以外に目もくれなくなるが、知の確立にとって科学はどの程度重要なのかを問うのが科学史であるとすれば、多様な問に寛容さを示すべきではないかと言っている。それから気に入ったのは、トマス・クーンは否定的に見ていたと著者が考えているノーマル・サイエンスを評価し、名もない普通の科学者の貢献を重視すべきだという立場を採っている点だろうか。その上で、多くの科学者が自分の仕事に多くの価値を見出していないことに疑問を呈している。すべての先入観を排し、科学が他の知的探求とどのように違っているのかという問に戻る時が来ていると考えている。そのためには、歴史家と哲学者の共同作業が必要になると結んでいる。よく体を使った一日だった。 午後からビブリオテークへ。数時間読む。眠くなったところで引き上げる。今日も BBC と CNN のお世話になったが、外からよく観察している。国内にいると、見られていることをなかなか意識できないが、筒抜けと言ってよい。日本では報道されていないだろう情報も流れていて、世界の中に浮いている日本が見える。矢張り今回も情報隠蔽の問題が出てきている。何度同じ過ちを犯せば学ぶことができるのだろう。情報を科学的に処理し、予防原則 (principe de précaution) に基づいて公開し、対策を講じるという基本的な誰でもできることがやられず、時代錯誤の政治的な思惑で情報を扱い、その結果多くの人に取り返しのつかない影響を与えようとしているかに見える。この場の言葉で言えば、科学精神が根付いていないことに由来するのか。科学精神より上に何らかの思惑を置いてもよいとでも思っているのか。それと関連して、個人レベルだけではなく、個人の所属する場所にも当て嵌まる自己に向かう批判的な精神 (l'esprit autocritique)が乏しいように見える。特に、重要な役割を担うべき政治やマスコミに著しい。が、わたしも同じ日本で育っている。指導者の選択の重要性も含め、人間としての基本を一から学び直さなければならないだろう。基本の前提になるのは科学精神(科学の知識ではない)。併せて、科学ではカバーできない領域について教養を深めなければならない。長い長い道のりが待っている。 午前中に用事を済ますための待ち時間があった。ここではお馴染みになってきたエドガール・モランさん(Edgar Morin, né à Paris le 8 juillet 1921)の最新刊 La Voie (「道」)を読む。これまでの考えをわかりやすくまとめた本のようだ。単純な二項対立(binarism)や善悪二元論(manichaeism)を退け、対象をコンテクストの中に入れ、陰影を付け、多元的に見るようにいつもの通り説いている。それから、現代の特徴でもある断片化された知をそのままにせず、相互の繋がりを探すような思考を勧めている。その時に基本になるのは、自らを振り返ること、自己検証、止むことのない自己を批判的に見る精神になる。ここで言う自己とは、個人のレベルだけではなく、個々人が関わる領域を意味している。21世紀の文盲は、読み書きができない人ではなく、学び、忘れ、再び学ぶことのできない人、さらに言えば、自己に向って振り返る目を持つことのできない人になるのだろうか。このように物事の複雑さを見ようとする姿勢が生れると、より豊かな世界が広がると言いたいようである。遠くから臨む日本は、モランさんが退けなければならないとしたものに溢れているように見える。そのような環境では、ニュアンスを解さない単純な大人しか産み出せないかもしれない。豊かさを味わえないとしても何の不思議もない社会にしかならないだろう。未だに幼稚さの抜けない目からはそう見えてくる。それにしても、真の豊かさとは何を意味しているのか。そして、単純な見方を排するためには何をやらなければならないのか。これからを考える上では基本になりそうな問について、肩に力の入らない議論がなぜ広がらないのだろうか。そんな疑問が湧いていた午後のビブリオテーク。 少しだけ日本の状況を見てみようかという気になる。一番情報が充実していそうな CNN と BBC を本当に久しぶりに見る。開闢以来ということなので、流石に酷い映像が流れている。これを外から見ていると、日本全体が破壊されているかに見える。驚いたこちらの方から気遣いのメールがいくつか届いていた。今回ネットテレビを見ながら、日本の現状とは別に改めて気付いたことがある。それは、日本の報道と比べると、本当の姿に迫ろうとする姿勢、対象を客観視する姿勢が強い印象があること。それから言葉がしっかりしていて、自分の周りにあることをできるだけ正確に表現しようとする精神がはっきり見えることだろうか。それは科学精神に繋がるはずのものである。これが日本では弱く、言葉が死んでいるように見える。すべてはわれわれの日常生活の反映にしか過ぎないのだろうか。-----------------------------------------Satellite Photos of Japan, Before and After the Quake and Tsunami(The New York Times, March 13, 2011) 午後から思い出の地、パリ郊外のサン・ジェルマン・アン・レイ (Saint-Germain-en-Laye) を散策。5-6年前のことかと思っていたが、前ブログを検索したところ2003年7月とある。フランス語を始めてまだ2年目のこと。すべてを新鮮に感じながら町の中を歩き回った記憶が蘇ってくる。その時からもう8年が経過したこと、こちらに来てからまだ足を踏み入れていなかったことに驚く。前回小さなリブレリーで以下の2冊を手に入れているが、そのお店は見つからなかった。今回はごく普通の町に変わっていた。ごく普通のカフェで2時間ほど読み、帰ってきた。Henri Thomas : De profundis Americae : Carnets américains, 1958-1960Rainer Maria Rilke : Lettres à une amie vénitienneBalzac - Camille Claudel - DELF (2005-02-20) 昨日、ある分野で新しい概念を打ち立て、それが実験事実により確かめられるという重要な仕事をした科学者が60歳で亡くなったのはなぜなのか、という疑問が湧いていた。なぜ、70歳、あるいは80歳まで生きられなかったのか。もし生きていたら、重要な仕事を出し続けてしたかもしれないのに。もちろん、これは科学で答えられる問ではないだろうが、あくまでも個人レベルの問題なので何らかの答えに当たるものを導き出すことができるかもしれない。運命論者として。しかし、今回日本を襲った災害はどうだろうか。おそらく何ら共通することがないだろう多くの人がなぜ命を落とさなければならないのか。そこに意味を見出すことが困難に見える。これこそまさに不条理ではないだろうか。ただすことができないからこそ不条理ではないのか。この不条理があるからこそ、科学以外の営みを人間は捨てなかったのではないのか。自分の周りに無傷の日本が見えないためか、日本全土が災害の中にあるような重い気分になる。Prof. John Dupré (Univ. Exeter, UK)今日は午後からイギリスはエクセター大学のジョン・デュプレ教授のお話を聞くために出掛ける。彼が問題にしているのは、個体、細胞、蛋白などの境界のはっきりした物と代謝、発生、進化などの過程をどのように調和させていくのか、という点だろうか。現代の生物学が抱える代表的な問になるかもしれない。久しぶりにクリスプでリズミカルな英語を聞き、こちらの精神も跳ねているように感じる。英国の英語もなかなか捨て難い。セミナー後、いくつかの問題についてお話を伺うが、現状認識に共通するところがある。反応もきびきびしていて、楽天的な性格が滲み出るので対話をしていて気持ちがよい。この感じはイギリス人に特徴的ではないかと今では思うようになっている。わたしの研究の進捗状況によっては、またお話を伺う機会が出てきそうな予感がしていた。 今朝ベランダに出ると、雲が縦横無尽に走っていて気分も踊る。今日は久しぶりに研究所へ。メールをチェックすると、指導教授の書類を求めるものがある。予定を変更して、その対処に当たる。なぜかここではメールの画面変化が非常に遅く、なかなか先に進まない。ただ、教授とのやり取りは時間がほとんどかからなかった。それにしてもこの程度のことに何時間もかかるとは。お昼にモンパルナス・タワーまで出て昼食を取った後、大学へ。無事、書類をいただくことができた。帰りにホールに出ると、物理関係の若い先生が高校生に向けて講義をしていた。手加減している様子は見えなかった。---------------------------------昨日出会った言葉だが記憶に残らないので、ここにメモしておくことにした。galimatias (Discours embarrassé, embrouillé, confus) * Tout ce qu’il dit, tout ce qu’il écrit n’est que galimatias. * C’est un pur galimatias. * Je n’entends rien à tout ce galimatias. * Galimatias double ; galimatias que ne comprend ni celui qui le fait, ni celui qui l’écoute ou qui le lit. * Qui songe à votre argent dont vous me faites un galimatias ? — (Molière, L'Avare ou l'École du mensonge 守銭奴, acte V, scène 5) Synonymes * baragouin * charabia * jargon * sabir 今日は朝から大学へ。専攻主催の一日がかりの研究発表会があった。テーマは一般化。午後からビブリオテークへ。今年から学生会員割引に30歳の年齢制限が付いたという。映画館でも老人割引があるのに、と言うと、やけに受けていた。仕方なく、正規の年会費60ユーロを支払う。帰りは途中で引っ掛かり、メトロの広告にあった映画 The Rite を観る。アンソニー・ホプキンスの演技が唯一の興味であった。映画は実際のエクソシストのお話に霊感を得ているとのこと。評判は知らないが、わたしにはあまりピンとこなかった。ところで、想像を超える世界に入ったためか、疲れていたのか、外に出て、こんなところにいたのか、と驚く。もうどこにいるのかには関心がなくなっているようだ。 昨日の余韻になるのだろうか。最近、指導教授とテーズをどうするかについて話している時、英語で書くことも可能であることを知った。これまではマスター論文同様、最初からフランス語で書くつもりでいた。そして昨日の記事を書いている時、5年前のことが思い出された。英語で考えようとして ESSAYER DE PENSER EN ANGLAIS (2006-03-13)アメリカから帰ってから深く考えることもなく、仕事のために有用ということで英語で生活をしてきた。それまでは何も感じることがなかったが、5年前に車で仕事に向かう途中、日本語になった自らの考えがさっぱり深まりを見せていないことに気付き、その理由として言葉の問題があるのではないかという思いに至った。それは英語の表現能力に見合う範囲でしか日本語の思考もできていなかったのではないか、という疑問に繋がる。つまり、普段使っている外国語のレベルが母国語の思考の深さを拘束していたのではないかというものである。これをテーズの状況に当て嵌めてみる。そうすると、英語よりさらに劣るフランス語で最初から書こうとする場合、自らの考えを充分に表現できるだろうか、という大きな懸念が生まれる。自然科学と違い、人文系の場合には言葉だけが武器というところがあるので尚更である。頭では理解していたつもりだったが、これまでの経験と併せて考えると看過できない問題に思えてきた。この状況に対して、フランス語よりはマシな英語で書き始めるというこれまで考えてもいなかったアイディアが浮かんできた。最終的に英語のバージョンは生きているし、それをフランス語に直して出してもよいわけである。目から鱗のこのやり方が自分には一番合っているのではないか。その上、フランス語で書くということは、今の世界では日本語で書くことに近いので、いずれ英語にしなければならないとは思っていた。今回の名案(?)はこれらすべての問題を一気に解決してくれるように見える。最後に残る肝心の問題は、これで思考が本当に拡がりと深みを見せるのかになる。これからじっくりと観察していきたい。 Schinkel à Naples (détail) (1824) de Franz Ludwig Catel (1778-1856)2001年3月の花粉症の頃、フランス語が突然目の前に現れた。その日は正確に特定できるはずだが、残念ながら手元にその記録がない。いずれにしても、その時から10年が過ぎたことになる。私は如何にしてフランス語にのめり込んでいったのか? - 2001年春 (2005-02-16)上の記事を読むと、まず4年という年限を区切って、最初は軽いお遊びのつもりで始めたようだ。それがこれほど重症になろうとは、誰が想像しただろうか。この間、ある言葉がずーっと頭にあった。それは、おそらく吉本隆明さん (1924年生まれ) の 「何事も10年続ければプロですよ」 というもの。しかし、10年経ってどうだろうか。とてもそんなことは言えないことがわかってくる。尤も、フルタイムでやっていたわけではなかったので、何とも言えないが。最初の遊びの時期を除くと、あと1-2年の余裕があることになる。その辺りが丁度区切りのよさそうな時ではある。ところで、フランス語10年目の2月末にスタンダールの日記に手が伸びた。1000ページを越えるので後で読もうと考えていたはずだが、読みやすいこともあり、少しずつ読み始めている。雨に降られてスタンダール、あるいは自分自身であること Journal de Stendhal (2011-02-23)その過程で不思議な変化が起こってきた。数日前にも触れたが、こちらに来て1年ほどですっかりやる気を失っていたフランス語ブログを再開したことである。始めてまだ1週間程度なので先のことはわからないが、うまく仕上げようとする気持ちがなくなったことで精神的負担がどこかに消えて行った。そこにはスタンダールの言葉、「自分自身でなければならない」 の影響があるようにも感じている。また、フランス語が日常の頭の中に入ってきたことに伴い、日本語の世界にも影響が見られるようになってきた。フランス語が頭にない時にはどこまでも広がっていたかに見えた日本語での想像が以前ほど羽ばたかなくなっている。フランス語で書ける範囲に日本語の方も引きずられているのか。あるいは、言語能力の一部がフランス語に占領されているため、注意が拡散しているだけなのか。上のスタンダール日記の序は、ここでも何度か取り上げたことのあるドミニク・フェルナンデスさんが書いている。ドミニク・フェルナンデス 「トルストイとともに」 (2010-02-27)時の流れを眺め、アンダンテ・カンタービレに辿り着く (2010-06-03) 週の中日の気分 (2010-10-28)その中で、自分自身であること、自分だけを満足させる作品、200年後も素晴らしいと評価される作品などがスタンダールの頭にあったことを知る。さらに、この場でも何度か触れた生きることと瞑想することの対比を、生きることと生きることを書くという相容れない問題として自らに問い掛け、どう調和させるのかを探っていたようだ。また、スタンダールはパスカルを近くに感じていたようで、フェルナンデスさんは、この日記は宗教色のない 「パンセ」 であると考えている。そう言えば、サルトルはスタンダールになりたかったのではなかったか。目に見えない糸で何かが繋がっている。サルトル展 (2005-06-20)******* ******* *******こちらに来て4回目の春を迎えている。数日前からくしゃみが連続して出るだけではなく、鼻がおかしくなっている。あれから10年。次の10年に向けて何かが起こるのだろうか ・・・ Ana Moura (née en 1979)昨日のリブレリー、視聴の棚にあった20枚ほどのCDに目を通す。その中にあったポルトガル生まれのファド歌手アナ・モウラさんのこのCDを暫し聞く。 Moura ana leva-me aos fados (2010)まだ30歳になったばかりで若いが、すでに人生を味わっているかのような落ち着きがある。ファドのせいなのか、彼女のせいなのか。日曜の朝、たっぷり彼女の歌を味わう。今日のところ、最後の曲が一番しっくりと入ってきた。何度聞いただろう。

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2001年、突如フランス語に目覚め世界が広がる。日常の偶然を愛し、そこから物語を紡ぐのが人生との思いに至る。ここでは2007年秋から始めたパリ生活を綴ります。paul.ailleurs@gmail.com

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